人は意欲が失われる精神状態をよく“心が折れる“という言葉で言い表すが
“心が折れる”瞬間の音を聞いたことがあるだろうか
彼の場合、折れるより“心が壊れる”という表現が正しいのか
自分の中で何かが崩壊する瞬間、きっと体験した者にしかわからないものなのだろう
抵抗する気力も失った彼は、やっと手足の束縛が解かれ、病室と呼ばれる室内に入れられた
食事も与えられた
しかし、悍しい体験をした彼には食欲などあるはずもなかった
思い出すだけでも吐き気がする
執拗に弄るおばさんの手の感覚を感じまいと、何も考えないようにするのに精一杯だった
怖くて、悲しくて、惨めだった
以後、彼はお風呂以外では靴下を脱げない
寝る時も履いたままだ
人はそれをトラウマと呼ぶのだろうか
下半身の肌を人に晒すのが恐ろしくて仕方ないのだ
“すみません。食欲がなくて…”
彼は食事に手をつけられず、そのまま配膳台に戻そうとした
すると、配膳係のスタッフだろうか
徐ろに蔑むような目で彼を見ると、
“この子、えさ、いらないってさ”
大声で他のスタッフたちに言った
《え、えさって…》
彼は心が抉られた
スタッフは皆、薄ら笑いをしていたのか
“せっかくのえさ、無駄にしやがって”
そう言って怒っていたのか
その時の彼らの様子はよく覚えていない
夜になると、どこからともなく奇声が聞こえる
鉄格子のある病棟
《自分は人間扱いされてないんだ。
ここはそういうところなんだ。
自分はそういう人たちの仲間なんだ》
彼の心はもう限界に達しようとしていた
*この話はノンフィクションです。
「いつか辿り着ける陽のあたる場所」の外伝になります。